無何有録-むかうろく-

無為自然に根ざした実験的記録集

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徳川家康と御茶壺道中

江戸時代に江戸幕府によって、宇治茶を江戸城まで運んだ御茶壺道中という儀式について。

慶長18年(1613)に始まったこの儀式は宇治で採れた新茶を、江戸城から送られてきた茶壺に詰めて、江戸に運ぶという儀式で、この往復道中は10万石の大名行列に匹敵するくらいの格式の高い行列であったといわれている。
わらべ歌の、ずいずいずっころばしに「茶壺に追われてとっぴんしゃん」とあるが、御茶壺道中が来ると、東海道筋の民衆は戸を閉めて、道中が通る過ぎるまで家の中に隠れていたことにまつわるもので、そのくらい格式の高いものであったようだ。さらに、「俵のネズミが米食ってちゅー」というところ、幕府は権力維持のために、御茶師に莫大な借金を課し、形骸化した御茶壺道中を維持させたのである。御茶師(=ネズミ)に穀を潰してまで忠誠心を誓わせたのである。
この御茶壺道中は、江戸幕府が崩壊する直前の慶應2年(1866)まで約250年続くのであるが、茶の生産に携わる農民という階級でありながら帯刀が許された特権階級である御茶師たちも、永らく続いた名ばかり名誉と多額の借金の為ひどく疲弊して御茶壺道中の廃止と共に御家断絶と相成る家があとを絶たなかったようだ。

ところで、この御茶壺道中は幕府の権力維持のために施行されたシステムであるが、無論、徳川家康の動向と深く関わっていることは言うまでもない。

時は天正10年(1582)6月2日、本能寺の変が起こり、明智光秀は謀反を起こし織田信長は自尽した。

この天正10年という年は陰謀うずまく大混乱の年で、時系列に見ていくと、

3月2日に高遠城が陥落して武田方は降伏、武田勝頼の自尽により武田氏は滅んでしまう。

4月21日に織田信長は安土城に凱旋。

5月15日、徳川家康は、徳川方に翻ったかつての武田方・江尻城の穴山梅雪をひきつれて安土城に来賀、織田信長と会見をする。この時の接待役が明智光秀であったが、晩餐で徳川家康に出した膾が腐っておるという言いがかりをつけられ、のち、光秀に備中へ出陣命令がかかる。
ちなみに、この穴山梅雪という人物、母は武田信玄の姉、南松院である。

5月21日家康は梅雪を伴い、入洛する。

この時期に、なまぐさ坊主である安国寺恵瓊は、織田信長のことを、「(いつか)たか転びにあふのけに転ぶ」と予言している。

5月28日、家康たちは、大坂に入る。

5月29日、堺に入る。堺政所宮内卿法印松井友閑方にて振る舞いを受ける。

6月1日、朝は、納屋衆今井宗久方にて朝茶、正午には、会合衆天王寺屋(津田)宗及方にて、夜は松井友閑方にて茶の湯の会

予定として、6月2日に、徳川家康は再び入洛し本能寺にいる織田信長と会見を行う予定であったが、

6月2日、本能寺の変が起こる。

まず、徳川家臣の本多忠勝が、京へ出発し正午に枚方で茶屋四郎次郎に出くわし変報を聞くことになる。忠勝は引き返して、河内飯盛山で家康と合流する。家康はここで、本能寺の変を知り、尊延寺で進路を北から東へ変更する。

途中、小川城の多羅尾四郎右衛門光俊や、山口藤左衛門玄蕃光広等の、伊賀衆、甲賀衆の護衛を経て白子に到着、ここより船を出して、知多半島上陸、さらに大浜に到着、家康は無事に岡崎に戻ることができた。
途中で徳川方に下った穴山梅雪であるが、家康とは別行動をとり別れた直後に、土民に殺されている。


この徳川家康の本能寺の変後の一連の行動であるが、これがいわゆる家康の人生最大の危難のひとつ、「伊賀越えの危難」である。

しかしながら、本能寺の変を含め、この一連の事件には謎めいた陰謀うずまく不可解な点が多くあり、また史料に乏しい為、様々な憶測が飛び交っている。
まず、武田氏が滅亡して約80日で、織田信長は本能寺の変で自刃することになる、明智光秀の不可解な行動、腐った膾、そしてダークホースの徳川家康が堺で宿泊した妙国寺は、織田信長が妙国寺にあった蘇鉄を安土に移植したが、蘇鉄が堺に帰りたいと泣くので蘇鉄を斬りつけて妙国寺に戻してしまったいわくつきの蘇鉄のある因縁の寺、堺での連日連夜の茶会、そして事件勃発の6月2日には、織田信長と会見予定であるにも関わらず、京にはいなかった。徳川方に下った元武田氏家臣、穴山梅雪と行動を共にしていたが、事件勃発後に別行動をとり、直後に穴山梅雪は殺されている。

ところで、この伊賀越えの道筋であるが、この道は紛れもなく東海道を通っている。そして、伊賀、甲賀のこの周辺地域は茶産地である。危難に遭遇した時に徳川方の護衛等で功績のあった者たちは後、徳川幕府が興ってからは要職に就く者がほとんどであった、さらにこの地域の代官たちに御茶壺道中を通じて名誉を与えるとともに、例年の干渉を行うことにより謀反を起こさないよう厳しく監視していたのである。飴とムチを駆使して幕府の権力維持システムとして機能していたのが、御茶壺道中という訳である。

天下泰平の象徴のような御茶壺道中ではあったが、茶壺に封じ込められていたものは、本能寺の変前後の、混乱を来した時代のなにやら血なまぐさい匂いのする陰謀の塊であったのだろう。
これが、徳川家康由来である御茶壺道中の真相である。





    


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吉川英治「三国志」

吉川英治の小説「三国志」で出てくる、劉備が旅の途中で買い求めたお母さんのお土産の高価なお茶と家宝の剣にまつわるエピソードはおもしろいものがあります。
家宝の剣の飾りについていた玉と交換で高価なお茶を手に入れます。それはお茶がお母さんの大好物だったからです。
そして旅の途中で黄巾賊に襲われて、茶と家宝の剣を奪われてしまいますが、なんとか手に戻ってきましたが、再び襲われて、危機一髪のところで張飛に助けられ、命のお礼に家宝の剣を渡してしまうくだりです。その時、劉備はお礼に渡せるものと言えば、お茶と剣しかありません。なんとしたことか劉備は剣をお礼に渡してしまったのです。

旅から戻り、お母さんにお土産のお茶を渡すまではよかったのですが、ふと、劉備が手にしている剣が、家宝の剣ではないことに気が付いてしまいます。問いただすお母さんに対して劉備は白状してしまいます。

家宝の剣は、劉氏が帝位につくことができる唯一の証拠です。それをやすやすと手放してしまった。お茶ではなく、剣を手放してしまった。お母さんがカンカンに怒るのも無理はありません。お母さんは怒りのあまり、お土産のお茶を川に投げ捨ててしまいます。

劉備は取り返しのつかないことをしたと悲嘆に暮れてしまいます。
しかし、お礼に剣を渡した相手は張飛です。
この先、あの桃園の誓いにつながっていくのです。

この部分は、吉川英治の創作ですが、お茶と剣を対比させて効果的な描写になっており、桃園の誓いへの道筋を劇的に演出しています。

三国志にも黄巾賊が出てきますが、黄巾の乱が引き金となって後漢は滅んでしまい、三国時代に入っていきます。
国が滅ぶときは必ずと言っていいくらい、根拠のない自信が蔓延していきます。
黄巾賊も御多分に洩れず根拠のない自信を引っ提げて増殖していき、反乱を起こしますが根拠がない故に一時的にヒートアップしただけの空虚なもの、バブルと同じです結果失敗に終わってしまいます。しかし治安悪化により武装化した豪族が力をつけて群雄割拠しついには後漢は滅んでしまいます。

そういえば、学力テストで結果の低い地域ほど根拠のない自信が蔓延している様に感じますが、そういうのが、暴れまわった後に、国は疲弊してあっけなく滅んでしまうのでしょうね、日本も他人ごとではありません。

私は根拠のあることしか信じないようにして、微力を温存させておくように努めます。

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玉川子盧仝(ぎょくせんしろどう)の茶歌

中国、唐代の詩人・玉川子盧仝(ろどう)の茶歌

一碗喉吻潤   一碗、喉吻潤い
兩碗破孤悶   二碗、孤悶を破る
三碗捜枯腸   三碗、枯腸を捜し
惟有文字五千巻  惟だ有り文字五千巻
四碗発軽汗   四碗、軽汗を発し
平生不平事   平生不平の事
尽向毛孔散   尽く毛孔に向かいて散ず
五碗肌骨清   五碗、肌骨清し
六碗通仙霊   六碗、仙霊に通ず
七碗吃不得也  七碗、吃して得ざる也
唯覚両腋習習清風生  唯だ両腋の習々たる清風の生ずるを覚ゆ
蓬萊山在何處  蓬萊山いづくにかある
玉川子乘此清風欲歸去  玉川子 此の清風に乘じて歸り去らんと欲す

【現代訳】
一杯飲めば、喉を潤し
二杯飲めば、孤独もなくなる。
三杯飲んで、俺のはらわたの中を探ってみると
文字五千巻が浮かんでくるだけ。
四碗飲めば、軽く汗ばみ
平素の不満も毛穴に向かって散っていく。
五碗飲めば、肌も骨も清らかに。
六碗飲めば、仙人にもなった気分でいられる。
七碗で、もうこれ以上飲めなくなり
ただ、両脇からそよそよと清風が起こるだけ。
いずこに蓬莱山はあるのだろうか。
私はこの清風に乗って蓬莱山に帰りたい。

この詩は、盧仝が、彼が住んでいた地域の地方官吏から頂き物の新茶のお下がりを貰っての返礼の歌ですが、一見、天にも昇る思いで新茶を貰ったことを喜んでいるように見えますが、本当は皮肉の歌なのです。

中国では昔から、茶と言えば、賄賂にあたるものであり、茶の贈答品というものはなかなか素直には喜べないところがある代物だったりするのです。
この地方官吏にとってあまり気乗りしない収賄であったのでしょう、やる気なしの役人の端くれである盧仝にしれーっとした顔で新茶を渡してしまいます。

と、いう訳で、盧仝の方も、喜んでいる素振りを見せつつ、しれーっとした顔で地方官吏に皮肉を言ってやったのでしょう、きっと。

「私は、出世なんか関係ないから、たなぼたでこんな美味しいお茶の味を味わえて、しかもそのまま桃源郷にとんずらしてやろう、へへっ、」

官吏にとっては、出世に係ることなので、お茶は賄賂であるが故に味わっている余裕なんてありません。日本式には毒饅頭ですから。お茶の味より、賄賂の内容の方が重大事です。

それとも盧仝は吹っ切れていたからこんな詩を詠むことができたのでしょうか。

私は中国史を専攻していたので、史書を紐解くと必ず、「賂」という漢字があるのです。つまり賄賂のことです。史書いわゆる公文書です。れっきとした記録です。そこに必ず「賂」が出てきます。まるで、毎日の業務報告書にもれなく記されているように、「今日、なんとかさんに賄賂渡す。」「今日は某さんから賄賂もらう。」といった具合です。
だから中国にはそういう歴史があり、
また、お茶と言うものも、中国から伝わった故にいろいろとありそうな感じのするものなのです。

ちなみに、中国から日本に公式にお茶を伝えたのは栄西禅師ですが、平安時代から遣唐使を通じてお茶が中国から日本にもたらされていました。以上のようなお茶の性格上、ごく一部の貴族の間でしか流通することのない、言ってみれば秘薬の様なものだったのです。貴族の間では喫茶習慣の一大ブームが起こりますが、ブームも一過性のものでさらに、遣唐使は廃止され、しだいに喫茶習慣も廃れていきました。

斯様な性格をもったお茶に栄西禅師は中国に渡って、出合ってしまって「これが噂のお茶というものなのか。」と、もの凄い勢いで興味を示して、茶に関する文献を読み漁り、しれーっとした顔でかどうかは分かりませんが、なんと茶の種を日本に持ち帰ってきたのです。
そして、日本に帰って、「喫茶養生記」なる日本で最古の科学書なんか記したりして、ここぞとばかりに茶の権威筋に成りすましてしまったのであります。
でも、お茶なだけに、きっと万事しれーっとした顔で遂行したとはとうてい考えられません、きっと、いろいろあったと思います。
言い伝えでは、栄西禅師が日本に帰って茶を伝えた人物が、明恵上人だったりして、この明恵上人という人はなかなかの曲者で、というより、凄い人で夢占いを記したりなにかオカルトめいたところのあるちょっとこわい感じの人だったりして、
権威筋というものはいつの世も「おいしい」ものは、わざと人の手の届かないところに隠し持ったりするものです。
オカルトちっくな明恵上人に茶の種を託したのも、他人に茶を横取りされたくなかったのでしょう。変人明恵上人に近づく物好きもいないし、なにより栂尾って山奥にあって人はいません。

その頃、巷では闘茶が大流行していて、栂尾の茶を本茶として最高級に、それ以外の地域で栽培された茶を非茶といって、差別化が図られていたのです。権威筋はみごとに栂尾の茶のブランド化に成功したのです。人っ子一人近づかない山奥で誰一人近づこうとしない謎めいた変人に託された茶の樹は誰からも侵害されずに権威筋の専売特許となったのでありました。

ところで、話は変わりますが、汚してから、取るという手法は中国から伝来したものなのでしょうか?それとも人類共通のワザ?
玉を汚物の中に隠したり、人がとうてい寄り付きもしないところに、侵害されないように大切なものおいしいものを隠し持つ手法のことですが、
汚染してから取る、でピンと来た人はもぐりではないでしょう。
Fukushimaのこと憂慮されます。日本もいままで他人事のように神風とか言ってお気楽に島国根性で構えていられましたが、そろそろ取りにくるのでしょうか?
いったいどこの方角からくるのでしょうね?

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フランツ・リスト「孤独の中の神の祝福」

この季節になると毎年、死と再生の物語を思い浮かべてしまう時節がやってくる。
春の嵐去りし後の平安を想起するような出来事があったのだと、桜を見るたびにつばらつばらにもの思う次第である。

そしてこの出来事は、フランツ・リスト(1811-1886)のピアノ曲の傑作《詩的で宗教的な調べ》第3曲「孤独の中の神の祝福」になぜかぴったりそぐうのである。

そこで、本阿弥光悦、小堀遠州、尾形乾山を三つ巴にして、安土桃山~江戸時代にかけて京で活躍した芸術家たちの目を通して見た時代の息吹を音楽に合わせて考察を試みてみた。テーマは「死と再生の美」である。





本阿弥光悦は刀剣の鑑定を家業とする家に生まれたが本業にはつかず、徳川家康より鷹峯の地を拝領して芸術村を主宰した。光悦は書や焼き物、蒔絵等に優れた才能を発揮したマルチな芸術家であった。特に書は「寛永の三筆」と謳われたひとり。

小堀遠州は、1579年に近江国に生まれる。小堀氏は浅井氏の家臣であったが、浅井氏が滅ぶと羽柴秀長の家臣となる。利休七哲のひとり、古田織部の弟子となり茶道を窮めていく。斬新で新規性に富む古田織部であったが、遠州は弟子でありながら、その様式を継承していくのではなく、「きれいさび」と呼ばれる独自の境地を開拓していくことになる。その特徴として、京都三名席のひとつ、金地院の八窓席に見られるように、明かり窓を多く設けることにより明るさを演出し、初期の草庵の茶に見られる陰湿な雰囲気を払しょくしたことろにある。このように、師匠とは逆のベクトルを志向していく背景には、徳川幕府の制定により平和を招来した天下において、直接的な対抗心は権力者の手によって排除される要因になりかねない。
権力者に屈することがない故に富や権力、虚栄心の犠牲になってしまった尊い精神を絶やすことなく継承していくために自己の個性を隠れ蓑にしてその心を守り続けたのかもしれない。

尾形乾山は、1663年、呉服商・雁金屋の三男として京都で生まれる。尾形家は元々、浅井氏の家臣であったが浅井氏が滅ぶと京都で呉服商を営むようになる。やがて浅井氏末裔のお江与の引立てもあり徳川家や公家に出入りが許され洛中一の豪商に発展する。兄には、「琳派」と呼ばれる芸術スタイルを完成させた尾形光琳がいる。光琳と乾山は家業には就かず、親が亡くなると莫大な遺産を相続した。
売れっ子絵師の名をほしいままにし放蕩の限りを尽くす兄の光琳とは対照的に、乾山は御室の仁和寺で隠遁生活を送るようになる。そこで御室の野々村仁清から陶芸を伝授される。のち、近衛家煕の庇護を得て鳴滝泉谷の地で窯を開くことになる。この地は洛中より乾の方角に位置していたのでこの窯を乾山窯と命名し、自らも乾山と名乗るようになる。
しかし、焼き物事業は実は経済的理由から始めることになるのではあるが、皿に書を絵付けするなど当時としては非常に斬新な試みがなされ、また売れっ子絵師の兄、光琳とのコラボも果たし事業は軌道に乗ったかに見えたが、元来の隠遁の性向が強くなり事業を跡継ぎである仁清の子息に継承して、自らは事業から身を引くこととなる。その後、晩年は江戸に下り身寄りもなく孤独のうちにこの世を去ることになる。

辞世の句に、
 放逸無慙八十一年一口呑却沙界大千
 憂きこともうれしきことも過ぎぬればただ明暮の夢計りなる

と、ある。自らの生き様を放逸無慙と表現した乾山。他人の目には、好きなことをして生きている様に映ったのかもしれないが、内省的な乾山には諦念のうちにその生涯を閉じることになる。


光悦、遠州、乾山の三人を三つ巴にしてみると、そこから派生していく当時の芸術家たちと形成されていくひとつのネットワークからあるものが透かしだされていくようである。それは、まるで星と星を線で結んで星座という物語を織り成していく様のようである。
こうして見ていくと断絶することなく、その系譜を継承した後世の芸術家たちはその心を伝えていくためには安易なかたちだけの模倣に頼るのではなく、自らの個性を発揮して変幻自在にかたちを変形させ、遺された確固たるその精神性を継承していったのである。


ここで、リスト作曲の19分に及ぶピアノの大曲、「孤独の中の神の祝福」について説明すると、まず、リストは手だけがデフォルメされた風刺画があるくらい非常に大きな手を持つピアニストであった。よって当時は作曲家よりヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして一世を風靡した。このように大きな手を持つピアニストのため作曲した曲は超絶技巧を要し非常に演奏困難な曲が多くある。
この曲については、リストの若かりし頃、ラマルティーヌの同名の詩集に感銘を受けそこから着想を得て作曲された。後、1845年に曲集として初稿が書かれ、1847年に第2稿、1853年に第3稿と改訂された。
晩年にリストは聖職者となったことからも分かるように、宗教的な精神性に傾倒していき、この曲も彼の精神性の高さを強く打ち出した作風となっている。

このタイトルの「孤独の中の神の祝福」"Benediction de Dieu dans la solitude" の、「solitude」は孤独と訳される他に、寂しいとも訳される。よって、日本的な情緒に照らし合わせてみると「わび・さび」の趣きが連想される。
宗教性の強いこの曲は、非常に精神性が高く、この曲から得られたインスピレーションをもとに精神性の高さを象徴する桜の花を主要なテーマにしてみた。
桜の中でも、祇園の円山公園のしだれ桜は、まさにタイトルの「孤独の中の神の祝福」にふさわしい見事な姿を人々に示している。立派に咲き誇る桜の大木は何も語ることはないが、存在そのものが無言のうちにそこに宿る高潔な精神性を見事に語っているのである。
余談ではあるが、しだれ桜を撮影した日は、三日月の夜であった。空に輝く三日月はまるで宝剣のように見えた。しだれ桜のこの一太刀にただ茫然と立ち尽くすだけであった。


最後に、演奏者のクライディオ・アラウについての説明で締めくくると、彼は精神性の高い作品を演奏するにふさわしい風格を持った往年のピアニストであるが、コンサート・ピアニストとしてデビューした後、アメリカ公演での失敗が原因で精神的なダメージを受け一時はピアノが弾けなくなるまでの状態に陥る。しかし、この失敗を機に精神性の追究に取り組むようになり見事に復活を果たすのである。
若い頃は非常に楽譜に忠実でテンポも正確を信条とし、大げさなルバートが流行した当時としては先進的で現代的な印象を与えるピアニストであったが、年を経るごとに、ルバートを駆使し極端に速度を落とした演奏が目立つようになり、斬新で独自性が見られるようになる。その独自性とは速度を落とすことによって一音一音の輪郭を明確にしている点であり、さながら音の無限性に果敢に挑戦しているようにも見える、そしてさらに音による精神性の追究という冒険への飽くなき挑戦を垣間見ることができる。
しかし、そこにあるのは、奇をてらったものや大胆なインパクトにのみ頼るのではなく、孔子曰く「七十にして心の欲するところとなし矩をこえず」と、いう境地に達しているところにあるように思う。精神性の高さから哲学的ピアニストとも称されたアラウ、その精神の高みに果敢に挑戦し続ける姿は、まさに「守破離」の精神が色濃く映し出されている様にも思える。楽譜に忠実であった彼が失敗を機に自らの境地を開拓して行き何ものにもとらわれない独自の自由自在な境地に達していく。まさにアラウは自由自在の域に達した芸術家であり、88歳のその生涯を閉じるまで現役であり続けた。その心は前述の孔子の言葉と見事に符合するのである。

そして三つ巴の日本の芸術家たちも「守破離」の精神をもって尊い心を永遠たらしめたところに、テーマである「死と再生の美」を見て取ることができる。




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*ANDREAS GURSKY アンドレアス・グルスキー展

国立国際美術館で現在開催されている、アンドレアス・グルスキー展へ行く。
ドイツを代表する写真家・グルスキーの日本初の個展である。

s-gursky.jpg

入り口を入ると、作品「ポンピドゥセンター」が出迎えてくれる。

「バンコクⅠ」はチャオプラヤ川の水面を撮ったもの。黒い水面にひとすじの白い帯、それは写真というより抽象画のようである。

「カタール」は黄金一色の八角形からなる空間。まばゆいばかりに輝く金色いろが放射状に広がっている。

「フランクフルト」は空港のフラップボードが写し出されている。

「ニャチャン」は籐家具製作工場内を俯瞰した作品。広く大きな空間に女工たちが、籐を編んでイスやテーブルを手作業でつくっている。上からの俯瞰の効果なのか、地面に直接座った女工たちはうつむいてひたすら手だけを動かして籐を編んでいる様子が強調されている。


グルスキーの写真は俯瞰している構図が多くある。
カメラという名の機械から見た風景というものは、撮る者の予期せぬ現実を見せ付ける。
客観と主観の対立はあきらかに主観が敗北の憂き目を見るのである。
撮る者は直ちに敗北宣言をするや否や、撮る者の二つの目にカメラという名の第三の目が付与されうるのである。

グルスキーの写真の特徴は、絵画との親和性である。
彼が提示するイメージは人間と世界との関係性における新たなヴィジョンだそうだ。
絵画における特有の空間性を写真によって実現しようとしてきたと言える。


「東京証券取引所」、証券取引所の俯瞰図。そこに写っているのは、サラリーマンと聞いて一般的に思い浮かべる人々。ネクタイとスーツ姿のボタンを締めてきちっとした標準型、スーツのボタンを外したひと、ワイシャツにネクタイ姿、ワイシャツだけのひと、ワイシャツの襟のボタンを外したひと。
ステレオタイプな標準型を大幅に外れることはない、しかし、通り一遍な差異の少ない外見だけに表れた人間像とは裏腹に、仕事が終われば駅前の立ち飲み屋で一杯ひっかけて帰るのが日課になっているひと、まっすぐ家に帰るひと、ひとりひとりのプライベートが透かし出されているような写真。

「シカゴ商品取引所 Ⅲ」、「東京証券取引所」とは対照的な写真。スタッフらは色とりどりのジャンパーを着て取引をしている。そこに写し出されているのは人々のうごめきを仮の姿とした、一種の分布図の様に見える。カラフルなジャンパーの配置に法則性はない、しかし赤いジャンパーの大きなかたまり、白いジャンパーの小さなかたまり、ぽつぽつと点のように青や黄色や紫が点在していれば何かしらの意味を見出そうとして、地図帳を開いたときの、赤は小麦、白はとうもろこし、青はてんさい、黄色は果実などと、勝手な農業分布図を見いだしてしまう。

「バンコク Ⅱ」、川面に映る光が螺鈿のように輝いている。

「パリ、モンパルナス」、巨大なアパルトマン。幾何学模様の中に、カラフルな窓のカーテンがちりばめられている。

「無題 Ⅶ,no.1」、 本のページが写し出された写真、ページは、p523となっている。解説によれば、これはローベルト・ムージルの未完の長編小説「特性のない男」(1930-42年)から断片的に抜き取り複数の文を繋げて、ひとつのテキストとして作成した架空のページ。実際には存在しないものを写し取った作品であり、そこには現実と虚構の境界をユーモアと皮肉を交えて表現されている。

ドイツ語で書かれた文の和訳の一部抜粋
[この人は、いつまでも自分のしてきたことを撤回し続け、それを別の何かと置き換える。~ この世は実験室だという比喩がふたたび彼の心のうちに、ある古い考えを呼びおこしていた。~ 巨大な実験場 ~]

「無題」というタイトルがついた、非常にコンセプチュアルな表現に特徴のあるこの作品を通じて、グルスキーは新しい着想を試みる実験をしているといえるのだろう。
そこに写し出されているものは、巨大な実験場。


写真はその空間にその時存在していたであろう現象をそのまま写し出してはいるのであるが、グルスキーのまるで抽象画のような作風に、写真になにかしらの新規性が与えられたような印象を受けるのである。
まさしく彼は実験場で実験を試みているのだ。


「カミオカンデ」、この作品は、岐阜県飛騨市神岡鉱山内の地下1000mにあるニュートリノ検出装置、スーパーカミオカンデを題材にしたもの。解説によれば、黄金色の光が均質に広がっていく無機的な眺めは、最先端の科学に導かれる現代社会のメタファーとして、私たちに圧倒的な印象を与えるこの作品にジオラマの人形のような人が2人、それぞれボートに乗りながら装置を見上げている。科学を前にして人間はまるで何かの身代わりとして設定された人形(ひとがた)にすぎないのかもしれない。その何か、それは人間が神と呼ぶものなのかもしれない。仮の形をかたどった人間がボートに乗っている。なにかを象徴するような印象深い作品である。

「ライン川 Ⅱ」は風景から音が発せられているかのような写真。風の音、川の流れる音、大地の音。大気の音。そして予期せぬ音。その空間に降り立ったときに聞こえてくるであろう音。
この作品は、デジタル技術によってあるはずのものが消し去られている。本来ならば聞こえてくるはずの音。
視覚的には見られる側は見る側を見事に欺くことに成功しているかのようではあるが、聞こえてくるはずのない音が確かに聞こえてくる。消し去られたものたちの抗議の声なのであろうか?それとも嘆きの声なのか?
写真を目の前にして、果たしてそんな音は実際に聞こえてくるであろうか。幻想の世界に迷いこんでしまったのかもしれない。ただ、この写真からのみ発せられうる音なのかもしれない。


グルスキーの作品は、写真はその瞬間を撮ったものなのに、その瞬間だけの音を聞くのではなく、映像を見ながら同時に映像から流れてくる音を聞いているような錯覚に陥る。


ミュージアムへ行くとどこからともなく音楽が聞こえてくることがある。作品に封じ込まれた音に呼応するかのように分断されてバラバラに解き放たれた個々の音たちがミュージアムにさまよい来たりて、閉じ込められた音と再び結合し、それは和声となって私の耳に響き渡るのである。グルスキーの個展の佇まいはまさに和声が奏でられているようである。


グルスキーの個展を見終わって、私はひとつのインスピレーションを与えられた。グルスキーにインスパイアされた私はまちに繰り出しカメラのシャッターを切った。
その写真の数々をちりばめて、ミュージアムで流れてきたあの曲を当てはめてみた。

あの曲とは、ショパンの前奏曲第25番作品45である。転調を繰り返す曲は不安定で二度と同じ姿を見せてくれない水面のようである。

個展で私が見たものは主観の敗北。どうやら抽象性と主観は呼応していなかったようである。まやかしの主体性は撤退を余儀なくされる。そんな惨めな姿をカメラの第3の目は冷ややかに見つめている。そんな印象を音で表したのが、ショパンの前奏曲第25番である。




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(1996/06/05)
不明

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最後に、ヴァシリー・カンディンスキーの言葉がショパンの前奏曲にまぎれこんで、あたかも最初から配置されていたかのように、ひとつの和音を形成していた。

「純絵画的なコンポジションは形態に関しての二つの課題に直面する。
 すなわち、
 一.画面全体のコンポジション
 ニ.互いに様々に組み合わさっておりそして全てが画面全体のコンポジションに従属するような個々の形態の創造。
 こうして多くの対象(現実的には、また、ときには抽象的な)は画面の中で、一つの大きな形態に 従属せしめられ、また、この形態に適合しこの形態を構成するように変形させられる。」
  (ヴァシリー・カンディンスキー「芸術における精神的なもの」1912年)

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現代写真論現代写真論
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*William Kentridge:The Refusal of Time時間の抵抗

2015年に開催されるPARASOPHIA京都のPre Exhibitionである、ウィリアム・ケントリッジ《時間の抵抗》の作者本人によるレクチャーに参加した。

会場は、先斗町歌舞練場。学生時代に鴨川をどりを観に来た以来だ。はんなりとした劇場の座席に腰かけて開幕を待つ。
歌舞練場入り口

ウィリアム・ケントリッジ氏は、1955年南アフリカ共和国ヨハネスブルグで生まれる。
「動くドローイング」ともよばれるアニメーション作品で世界の美術関係者に衝撃を与える。

現代芸術の国際展「PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015」のプレイベントとして、元・立誠小学校において、大規模映像インスタレーション:《時間の抵抗》[原題:The Refusal of Time ]2012が現在公開されている。

この《時間の抵抗》という作品は、作者とハーバード大学の近代物理学の誕生を研究している科学史家ピーター・ギャリソンとの時間を巡る対話から着想を得ている。
時間を巡る謎に果敢にも挑戦し続ける作者の記録であり、そして南アフリカの女性ダンサー、ダダ・マシロとのワークショップの過程で生み出された作品である。

kentridgepanf.jpg

まず、このプロジェクトの出発点は、天井への投影であった。しかし、ちょうどよい天井が見つからなかったために、このアイディアは未だ作られていない「失敗の部屋」に預けられることとなった。

もうひとつの出発点が科学史家ピーター・ギャリソンとの対話から始まる。プロジェクトは相対論の前史から時間についての全体的な考察にすり替わっていく。

第三の出発点が、旧劇場の美しい空襲跡。時間についての思考と構築を重ねていくことに適した場所。

第四の出発点、ダンサーのダダ・マシロとのコラボレーション。

第五の出発点、ピーター・ギャリソンとの対話によって一連のアイディアとメタファーが溢れ出る。それぞれのアイディアの具現化。投影されたメトロノームで作り出すシンクロニシティ、時間を音で表現する。メタファーを可視化および可聴化する必要性。

第六の出発点、プロジェクトチームの構成。作曲家のフィリップ・ミラーが時間を音に変換する。映像編集者のキャサリン・マイバーグがプロジェクションのためのイメージを編成する。ヨナス・ルンドクィストがふいごと自転車の車輪を相対性原理に変身させる。舞台デザイナーのサビン・トゥーニセンがコンテクストをデザインする。グレタ・ホリスの衣装デザイン。ルック・デ・ヴィットの舞台演出。

s-提灯

ケントリッジに時間の謎のインスピレーションを与えたものが、彼の8歳の頃に遡ること、父と姉とのサウスポートへの旅行での出来事であった。
父は、子供たちにギリシャ神話の物語を話して聞かせた。
物語はアルゴス王とその孫のペルセウスの話。アルゴス王は神託により孫に殺されると預言される。
そこで彼の娘を幽閉してしまう。しかしゼウスは娘が幽閉されている建物の僅かな隙間を抜けて忍び込み娘はペルセウスを産む。

ペルセウスは成長し青年になったころ、街で円盤投げの大会が催されることに。
ペルセウスは自らの力を誇示しようと大会に出場する。円盤は投げられた。すると、その円盤がひとりの老人に命中してしまいその老人は死んでしまった。
この老人こそがかつて孫に殺されると神託を受けたアルゴス王であった。

幼いケントリッジ少年の心にこの神話が刻みつけられる。
なぜ老人はこの大会の見物にやってきたのか?どうしてその席に座ってしまったのか、ひとつ右側へあるいは左側に座らなかったのか?どうしてペルセウスは大会に出ようなんて気を起こしたのか?
どうして様々な偶然が重なってしまったのか?どうして不可避なことが起こってしまうのか?
アルゴス王が最後のページを読んでいたのならこのようなことは起こらなかったのに、はじめからすべて間違っていたのかもしれない。このちっぽけな決定が重大な結果を招いてしまう不思議。
ひとたび円盤が投げられてしまうともう戻ってくることはない。
このような疑問がいつしか時間の謎へとすり替わっていくのであった。
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2年間に亘るピーター・ギャリソンとの時間に関する議論。
そもそも時間とは? 時間はいったいどこからやってくるのか? 時間のしくみ、はたらき・・・

19世紀中ごろ、パリでは光の速度を固定しようとするアイディアが想起される。
光の速度を固定するのならば、時間も固定されうる、そして一定のスピードである距離に行けば昔のイベントを見ることができるのではないか?
例えば、2000光年先へ行けば、キリストが十字架に磔にされているイベントを見ることができる。
つまり、宇宙というのは地球から発せられたイベントを集積している場、アーカイブなのではないか?
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はんなりと柔らかな千鳥柄の提灯の光が包み込んでいるのは、様々な寄せ集め。
作品を説明するアーティスト、映像、観衆、通訳者、それらが渾然一体となってコラージュされた劇場というひとつの有機体の中に自分が幻想の中にあるかのような錯覚。
時間の謎をあたかも共有しているかのような断片と断片がつながる連続性。
京都のまちに降り立った時にうすうす感づきながらもそ知らぬそぶりのままやり過ごすおどろおどろしさに浸りつつ、アーティストから発せられる言葉を注意深く聞き取っていく。
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神話からインスピレーションを得たアーティストは、時間をモノに置き換えて時間といったものを表現しようと試みる。
まず、言葉、歌、詩といった文章をバラバラに分解して、ふたたびバラバラになったものをつなぎ合わせていく。
イメージに関しても同様の手法を用いて構築していく。その一連の過程を経て結果まったく違ったものになっていく。
自己というものもまた構築していく、このブリコラージュが重要なポイントとなっていくのである。

歌舞練場廊下窓

そして、この一連の作業をする場所、それがスタジオである。外から様々な破片、イメージや記憶を寄せ集めてきてスタジオ内に取り込んでコラージュして構築していき、その構築されたものを外に向けて発信していく、そういう場所がスタジオ。

スタジオとはいったい何をなすべきなのかという文法を教えてくれるところであり、その文法を完成させるところ。
スタジオとは様々な実験を試みることができる場所、バカげたことをしたとしても許される場所、どんなことをしても安全に守られている場所、そしてこれら様々な試みが結実していく場所、それがスタジオ。
だからスタジオは大切な場所。

アーティストの息子がスタジオにやって来たとき、様々な試みをフィルムに収めてみた。12本のエンピツ、ペン、ペンキそれらを自由に持たせて息子のなすがままにさせてみた。
12本のエンピツをあたり一面めがけて投げる、壁にペンキで色を塗る。それら様子をすべてフィルムに収めて、そのフィルムを逆回しにして見せた。
床一面に落ちているエンピツが全て息子の手に収まっていく、ペンキのついた壁がペンキ一滴残さずもとの壁に戻っていく、ちらかっていた床が見事にきれいになっている。
息子は逆回しのフィルムを嬉々として見入って、もういっぺんやってもいい?と尋ねた。
アーティストは息子に向かって、それならこのちらかっているものを片付けてからにしようねと言う。

フィルムを逆回しにすることの実験、これには時間を逆転させればどういう結果が生じるのかということの試みである。フィルムをまわしてコマ切れに止めたり、逆回しすることによっての時間の把握。

実験的映像が映し出される。夫が毒をもられてうつ伏せに倒れている妻のいる部屋に入ってくる。夫はうつ伏せの妻を抱き起こして解毒剤を妻の口に含ませる。妻は眠りから目を覚ますように生き返る。
そして、この映像を逆回しすると、夫は妻に毒をもって死んだことを見計らって部屋から立ち去る。
フィルムをそのまままわすのと、逆回しにすることによって全く逆の話になってしまう。
この逆回しは、アーティストにとって満足のいくものではなかった。よってお蔵入りすることに。

まさにスタジオが実験場であるからだ。採用されるものもあれば、採用されないものもある。それら全てが包含された無秩序な空間にアーティストの手によって秩序が形成されていく。
そしてアーティストはエントロピーについての言及も。

さらに、作品の重要なメタファーである、「メトロノーム」についての言及。統制された規則正しい動き、律動、メトロノームは謂わば人間をイメージしたものである。心臓の鼓動、肺の呼吸、人間も統制された律動によって支配された存在、規則正しく時を刻む存在。
アーティストは人間を時間になぞらえるのであった。
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ウィリアム・ケントリッジのインスタレーションが公開されている、元・立誠小学校の階段

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アーティスティックな階段の手摺子。竹をモチーフにしたような和風の趣きあるデザイン。
廊下の壁一面に掲げられた歴代の生徒の集合写真は圧巻。












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*横尾忠則現代美術館

ポンピドゥー・センター・コレクションを後にして、つぎに向かうは、横尾忠則現代美術館 Yokoo Tadanori Museum of Contemporary Art
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現代芸術に浸りきる一日。冬のパリを思わせるどんよりと曇ったお天気。そして、すこし胸焼け気味。でも、なれてくるとどんより曇ったお天気の憂鬱な気分には現代芸術が刺激的なスパイスになりそうだ、しかしまだ初心者なのでそこまではいってない。

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鉄橋を越えて王子公園のある山手へ向かう。

横尾忠則氏といえば、国際的に活躍する現代芸術家。今回がはじめての美術館観覧である。いろんな意味ですこしドキドキ。

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現在、開催中の展覧会、横尾忠則の「昭和NIPPON」反復・連鎖・転移を観覧する。

昭和の日本といえば、戦争、戦後、高度成長期、経済大国という変遷を遂げてきたという事実がある。横尾忠則氏の目から見た昭和の日本に私も共感することができるのであろうか?などと考えながら、原色が際立ったチケットを手に展示室へ向かう。

まず、入り口をはいると、「幼年時代 恐怖と快楽」というテーマの作品群が展示されている。

「方舟に持ち込む一冊の本」、本の群れと色彩にはなんとか耐えられる。

「壊された五条大橋」、コラージュ作品。触れたくはない部分、特に女性は。ずっしりと重たくなる、自分が土嚢になってしまったた気分で呼吸困難に陥る、土嚢だから呼吸なんかするはずないのに、そして呼吸という言葉も完全に飛んでいる、なのに仮に呼吸という名の行為をしないといけないのだけは薄々分かっている、でもどうしたらいいのか分からない。どうやって息を吸えばいいのか、どうやって息を吐けばいいのか分からない、つまり呼吸の仕方を忘れてしまう。この絵を見て「はっ」とした瞬間に呼吸の仕方を忘れてしまうのである。私は女性だからこの様な絵を見ると耐え難い気持ちになって、土嚢になってしまう、というよりいっそのこと土嚢になってしまいたいくらいにモノ化したくなるのである。それだけ感情を持った生身の人間であることを放棄したくなってしまうくらいに耐え難い気分になるのである。

次に、「記憶の鎮魂歌 心霊的交流」というテーマのブース。

「懐かしい霊魂の会合」これも古い顔写真がコラージュされている。心霊的な昭和の風景。
「記憶の鎮魂歌」こちらも顔写真のコラージュ。現在にあの頃の昭和という名の過去が顔写真という仮の姿をかたどって漂っている。消したくても消せない昭和の部分、重苦しいはずなのになぜか浮遊物のようにゆらゆら漂っている。こちらもかなり心霊的作品である。

実は、私の作品、タイトル「なし」も気持ち横尾忠則オマージュである。
この、「切り貼り」つまり「コラージュ」であるがこれは大人しめに仕上げたが、結構、私は切り貼り好きで、また思うところがあれば、横尾忠則オマージュに挑戦するつもりである。そして、今日はそのヒントの仕入れも兼ねている。でも、この時点ですでに、お持ち帰りはやめておこうという気分になっている。だって、家に帰って玄関のドアを開けて、閉じようとフッと振り返ったときに、あの古いちょっと恨めしそうな顔した顔写真が一枚、玄関の前について来てたら思わず、「ギャーっ」って背筋が凍ってしまうので。



「彼岸へ」は、暗い昭和、これもれっきとした本物の昭和。

横尾氏は、三島由紀夫から「実生活における礼節を重んじなさい。」と言われて、「実生活の感じられない芸術作品は考えられない。」という考えに行き着いたそうだ。
昭和の頃は、そういえばまだ、礼節があったのかな。そう思わせる作品たちである。

「笑う女たち 土俗の悲しみ」のテーマからは、女性としては直視するのに勇気がいる作品たち。
そして、昭和を彩った人々の肖像画もところどころに配置されおもしろみのある作品に仕上がっている。
ぐるっとこのフロアを一巡してすでに胸焼け状態になってしまった。上階へ行こうと、このフロアを出ようとした時に、案内の係員の人に、小部屋にも作品の展示があるとアナウンスされる。
いかにも怪しげな小部屋である。そして小部屋の入り口に注意書きが、性的表現がどうのこうのと・・・
なるべく作品を直視しないように、恐る恐る小部屋に忍び込んでいく、
私にとっては拷問であった、爆弾の直撃を受けて瀕死状態になってしまった。耐え切れずに小部屋からはじき出される。
そして、上階へ、もう鑑賞する気力も体力も残ってはいなかった。なんとなくヘラヘラしていたかもしれない。

このフロアのテーマは、「忘れえぬ英雄 昭和任侠伝」
あっ、三島由紀夫がいる、高倉健がいる。そう機械的に反応していた、ただそれだけ。
しかし、「背中で吠えてる高倉健」というタイトルには笑った。まだ人間の部分が残っていて良かった。リトマス紙だったのであろうか、あのタイトル?

そして、最後に「泉 彼岸と此岸」のテーマ
タイトル「実験報告」の油絵。もう、結果なんてどうでもいいや的な気分で、そそくさと立ち去る。

4階のアーカイブルームに避難する。赤と白を基調とした空間に萎えた生命力が甦る。

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窓の外に目をやれば、王子公園と六甲山系の山並みが見える。
人間も自然と共生しているからと、ちょっとホッとした気分になる。
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横尾忠則現代美術館を出て、薄暗がりの帰り道を歩いていたら、食べ物の美味しそうな匂いや、パンの焼きたての香ばしい匂いを嗅いだ途端に、いままで食欲が全く消滅していたのに、急にお腹が空いてきた。人間は現金なものだ、だから人間を続けていられるのであろうと、妙に納得して、パンを買って家路に就いた。




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*Fruits de la Passion_La Collection du Centre Pompidou ポンピドゥーセンターコレクション

パリからとどいた最新アート・コレクション ポンピドゥー・センター・コレクション_フルーツ・オブ・パッションの観覧のため兵庫県立美術館に行く。

この展覧会では、ポンピドゥー・センターにある国立近代美術館に過去10年間に亘って収蔵された「最新」コレクションを観覧することができる。
これら現在、最も脚光を浴びている25人の現代芸術作家たちによる31点の作品は、この兵庫県立美術館のみの開催で他館への巡回はないそうだ。
この貴重な機会を逃すまいと早速、美術館へ繰り出す。

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現代芸術に関しては、なじみの薄い私である。
いったい、何が待ち受けているのだろうか? それは、期待するものであろうか?それとも期待せざるものであろうか?
私はそこで何かを見つけるのだろうか?それとも何も見つけられずただ、敗北感に打ちひしがれ、そこを立ち去っていくだけなのであろうか?
そういった、期待と不安が入り混じる未知の世界へ足を踏み入れる冒険への旅立ちといった面持ちで、美術館の門をくぐる。
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なんとも、意味ありげな、らせん階段。吸い込まれるように、これからインナースペースへ入っていくようだ。

入り口でお出迎えしてくれるカラフルなストライプ模様、これもれっきとした作品である。
現代芸術の巨匠・ダニエル・ビュレン(Daniel Buren)の「二度、繰り返すことはない」(Jamais deux fois la meme)という作品。
ダニエル・ビュレンといえば、パレ・ロワイヤルの中庭でみた作品以来のこと。再会の喜び、時の経過が一瞬にして消滅する瞬間である。思わぬ再会に感激もひとしお。
しかし、再会の喜びを誘導しているものは、なんと二度、繰り返すことはない、とは、なんとも皮肉なこと。

入り口でいきなり現代芸術のキーワード?或いはお題を突きつけられた様で、現代芸術は、ただ傍観者のように眺めているだけを許してくれない厳しさがあることをしょっぱなから突きつけられ不意打ちの打撃を加えられる。ぁ痛っ、

中に入り、まず、目に入るのが、いかにも現代芸術といった感のある絵画群。なにかしら、とにかく考えてみようといった衝動に駆られる。作者の動機はいったい何?何を表現しているのだろうか?いったい何をねらってのこと?どういった作用が?この先にあるものは?・・・と永遠に自問自答をくりかえしていく。まさに負のスパイラルに落ち込んでいくのである。

カーティス・マン(Curtis Mann)の二つの試み(オリーブの収穫・パレスチナ)Two Attempts(Olive Harvest,Palestine)と陸封された場所、検問所(無名の人とパレスチナ)Landlocked,Checkpoint(Unknown & Palestine)の作品は技法が印画の一部を水溶性ニスに浸すといった斬新な手法を用いることにより、ひとつの枠の中に異質なものを混在させ独特の世界観を表現していることに成功している作品だという印象を受ける。
視覚世界の不思議さ、もしかすると、いま目の前にあるこの作品のこの見え方こそ本質的なのか?これって私が貧血で倒れる5秒前から起こる色覚異常に似ている、変なところで妙な親近感を覚えてしまう。
私にとってのいちおしの作家、今後の活躍に更なる期待。

アンリ・サラ(Anri Sala)の入り混じる行為 Mixed Behaviourの、映像と音声によるインスタレーションもかなり印象的。暗闇の中での、あの映像と爆音のミックスによって生じた現象は、私には感覚器官だけしかないといった帰結に行き着くのである。あえて、あれやこれやと御託を並べるのは不相応だと思った。ただひとつだけ残念なのは、音声技術の部分であるが、お腹の底から響くあの爆音は現在の音声技術ではまだ不可能であるのだろうか?それとも私の難聴のせい?

ジャナイナ・チェッペ(Janaina Tschape)の血液、海 Blood,Sea これも映像と音声によるインスタレーション、4面のスクリーンに映し出された映像はかなりの迫力がある。ひたすら海の中を漂う姿にいつしか同質化していく錯覚を覚える。このままずっと漂っているかもしれない、腰掛に座りながら、いつ立ち上がろうかとタイミングを窺っている自分とあえてタイミングを逃してしまう自分との葛藤の中にいられる作品である。

ハンス=ペーター・フェルドマン(Hans-Peter Feldmann)の影絵芝居(パリ)Shadow Play(Paris)は、作者が長年かけて蒐集した品を飾りつけ影絵の手法を用いて表現したインスタレーションである。
童心に戻った気分で、くるくる回る影絵をじっと見つめる。影というのは想像力を喚起するものであり、モノクロームが多彩に染まりすぎて濁ってしまった心を純真な子供の心に戻してくれるようである。

ツェ・スーメイ(Su-Mei Tse)のエコー(L'Echo)、映像と音声によるインスタレーション。
山の頂でチェロを弾く作者。前方には向かい合う山がそびえ立っている。作者のいる側と向かい合う山との境界線のコントラストが印象的であり、この向かい合う山と山の間にある見えることの無い谷底の存在を強く意識してしまう。見えない谷を強く意識することによって強烈な不安感が誘発されるのであるが、前方の山に囲まれているという視覚効果が安心感を与え、さらにゆったりとしたチェロの試し弾きのような奏でる音が雄大な境涯を体現しているかのようで、不安と安心が相半ばする生けるものを象徴的に表した作品である。

そして、いよいよクライマックスの、エルネスト・ネト(Ernesto Neto)の「私たちはあの時ちょうどここで立ち止まった」(We stopped just here at that time)
空間に佇んでいるその姿はまさにクライマックスにふさわしい作品である。
このひとつ?の物体を有機的物体とたらしめているのが、「匂い」である。この物体からほのかに醸し出されてくる匂いによって私はなにか反応しようとしてしまうのである。ほのかに甘く芳しい匂い。この甘い匂いが、どこかで聞きかじったような、「父母未生以前」とかいう言葉を想起させてしまうのである。
そうだ、私はここからやって来たのだ。そう確信してしまう、匂い。そして、この匂いを目で追うようにその物体に目をやれば、「ジャーーン」という銅鑼の音を聞くかのように目の前に自分自身をまざまざと見せ付けられてしまうのである。これが、まぎれもなく私である。私の姿である。私はここからやって来た。これが私の私である、もう目のやり場に困ってしまうくらいに私がここにいる。あぁ、帰りたい、もと来た私に。
そんな私にまつわる私といったフレーズが、ずっとリフレインしている。

そして、甘い匂いに郷愁の念を残したまま、名残惜しむ気持ちを断ち切るかのように美術館を去っていった。

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ドビュッシー「月の光」 Debussy_ Clair de Lune

クラウディオ・アラウが演奏するドビュッシーの「月の光」は私を特別な世界に誘ってくれる。

聴くたびに生まれて初めて出会ったかのような新鮮な気分にさせてくれる。だから何回でも聴ける。そして聴けば聴くほど深遠の世界への扉を開けてくれるのである。

1903年に生まれたアラウは、5歳でピアノリサイタルを開くほどの天才で、前途有望な華々しい神童としてその人生のスタートを切った。しかし彼は生涯のうち2度の世界大戦に遭遇し、激動の時代を生き抜いたのだった。そんな強靭な不屈の精神を演奏の隅々に聴いてとることができるのである。

根本的に、私はこのアラウの演奏を理解できていなかった。音で表されている本質のことである。アラウは月の光を表現しているのではない。別のものを表現している。しかしアラウは自覚していたのだろうか?自覚していなかったのだろうか?しかしそこは問題ではない。

ここに表現されているものは、まさに円満頓速ではないだろうか。ひとつも欠けることなく全てが満たされた状態。
ずっと生きていく意義を見出せないでいて、このままずっと自分ひとりのことだけしか考えなくて死んでいくのかと思うといたたまれない気持ちになり、いつもずっとどうして私だけと恨み言で自分を充満させて、そんな自分が嫌で嫌で。そして、音に埋没しているとそんな嫌な自分から解放されるのである。円満頓速にベクトルが向う、全てが満たされた状態。そこを目指すことにより生きていく意義が見つかりそうな気がしてならない。

月の光は万人に降り注いでいる。祖国を追われた人にも故郷と同じ月の光が降り注いでる。そして再会するために探している人にも月の光は優しいまなざしを投げかけている。無言のうちに月は希望の光を投げかけている。そんな月の光をその人たちは何を思って見ているのだろう。

私にとって音の世界に埋没するほうが、言葉の世界に埋没するより本質的である。
確かに言葉は額面どおりに意味を表している。しかし感情の本質は不立文字であり音のほうが本質的に理解できているような気がする。
また曲を演奏するというのは数式を解いていることと同義語のように思えてならないのである。深遠な数字の世界を音で表現しているのではないか。そして数字では表現を持て余し気味になる無限の広がりへ、何らかの示唆を与えてくれるのが音ではないだろうか。

I play the piano.
I sincerely pray for you.

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岡山で途中下車

高知から乗車した電車は再び瀬戸大橋を渡って岡山へ。
140103_1615~瀬戸大橋2
瀬戸大橋より瀬戸内の夕陽を臨む。

140103_1617~瀬戸大橋1
瀬戸内の島々。宝くじが当たったらみかんの木とオリーブの木がある小島を買おうと思っていたけど、肝心の宝くじを買うのを忘れた。

岡山駅に到着して、新幹線は運転を開始したが大幅にダイヤが乱れ乗れそうにない、新幹線で帰るのは断念して在来線で帰ることに。お腹がすいたので岡山駅を途中下車して、駅前の繁華街に繰り出すことに。

繁華街にある焼き鳥屋さんに入ることに。
カウンター越しに炭焼きの香ばしい匂いがしてくる。

140103_1736~てば
外はパリパリ、中はジューシーな手羽先。

140103_1734~たまねぎ
甘くておいしいたまねぎ。

そういえば、父の北海道移住計画熱が勃発する前に、10年ほど前、四万十川移住計画熱が勃発していた時期があった。
四万十川流域にログハウスを建てて悠々自適の余生を送るはずであった。もし実現していたら私も「しまんとぅ」になっていたのに。

140103_1741~くわやき
大根おろしをつけて食べる焼き鳥はさっぱりしていていくらでも食べれる。
威勢の良い店員さんの笑顔も良かった。

おなかいっぱいになって、再び岡山駅に戻り、在来線に乗ってゆっくりと帰途に着く。

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