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無何有録-むかうろく-

無為自然に根ざした実験的記録集

*横尾忠則現代美術館

ポンピドゥー・センター・コレクションを後にして、つぎに向かうは、横尾忠則現代美術館 Yokoo Tadanori Museum of Contemporary Art
s-ポンピヅ

現代芸術に浸りきる一日。冬のパリを思わせるどんよりと曇ったお天気。そして、すこし胸焼け気味。でも、なれてくるとどんより曇ったお天気の憂鬱な気分には現代芸術が刺激的なスパイスになりそうだ、しかしまだ初心者なのでそこまではいってない。

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鉄橋を越えて王子公園のある山手へ向かう。

横尾忠則氏といえば、国際的に活躍する現代芸術家。今回がはじめての美術館観覧である。いろんな意味ですこしドキドキ。

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現在、開催中の展覧会、横尾忠則の「昭和NIPPON」反復・連鎖・転移を観覧する。

昭和の日本といえば、戦争、戦後、高度成長期、経済大国という変遷を遂げてきたという事実がある。横尾忠則氏の目から見た昭和の日本に私も共感することができるのであろうか?などと考えながら、原色が際立ったチケットを手に展示室へ向かう。

まず、入り口をはいると、「幼年時代 恐怖と快楽」というテーマの作品群が展示されている。

「方舟に持ち込む一冊の本」、本の群れと色彩にはなんとか耐えられる。

「壊された五条大橋」、コラージュ作品。触れたくはない部分、特に女性は。ずっしりと重たくなる、自分が土嚢になってしまったた気分で呼吸困難に陥る、土嚢だから呼吸なんかするはずないのに、そして呼吸という言葉も完全に飛んでいる、なのに仮に呼吸という名の行為をしないといけないのだけは薄々分かっている、でもどうしたらいいのか分からない。どうやって息を吸えばいいのか、どうやって息を吐けばいいのか分からない、つまり呼吸の仕方を忘れてしまう。この絵を見て「はっ」とした瞬間に呼吸の仕方を忘れてしまうのである。私は女性だからこの様な絵を見ると耐え難い気持ちになって、土嚢になってしまう、というよりいっそのこと土嚢になってしまいたいくらいにモノ化したくなるのである。それだけ感情を持った生身の人間であることを放棄したくなってしまうくらいに耐え難い気分になるのである。

次に、「記憶の鎮魂歌 心霊的交流」というテーマのブース。

「懐かしい霊魂の会合」これも古い顔写真がコラージュされている。心霊的な昭和の風景。
「記憶の鎮魂歌」こちらも顔写真のコラージュ。現在にあの頃の昭和という名の過去が顔写真という仮の姿をかたどって漂っている。消したくても消せない昭和の部分、重苦しいはずなのになぜか浮遊物のようにゆらゆら漂っている。こちらもかなり心霊的作品である。

実は、私の作品、タイトル「なし」も気持ち横尾忠則オマージュである。
この、「切り貼り」つまり「コラージュ」であるがこれは大人しめに仕上げたが、結構、私は切り貼り好きで、また思うところがあれば、横尾忠則オマージュに挑戦するつもりである。そして、今日はそのヒントの仕入れも兼ねている。でも、この時点ですでに、お持ち帰りはやめておこうという気分になっている。だって、家に帰って玄関のドアを開けて、閉じようとフッと振り返ったときに、あの古いちょっと恨めしそうな顔した顔写真が一枚、玄関の前について来てたら思わず、「ギャーっ」って背筋が凍ってしまうので。



「彼岸へ」は、暗い昭和、これもれっきとした本物の昭和。

横尾氏は、三島由紀夫から「実生活における礼節を重んじなさい。」と言われて、「実生活の感じられない芸術作品は考えられない。」という考えに行き着いたそうだ。
昭和の頃は、そういえばまだ、礼節があったのかな。そう思わせる作品たちである。

「笑う女たち 土俗の悲しみ」のテーマからは、女性としては直視するのに勇気がいる作品たち。
そして、昭和を彩った人々の肖像画もところどころに配置されおもしろみのある作品に仕上がっている。
ぐるっとこのフロアを一巡してすでに胸焼け状態になってしまった。上階へ行こうと、このフロアを出ようとした時に、案内の係員の人に、小部屋にも作品の展示があるとアナウンスされる。
いかにも怪しげな小部屋である。そして小部屋の入り口に注意書きが、性的表現がどうのこうのと・・・
なるべく作品を直視しないように、恐る恐る小部屋に忍び込んでいく、
私にとっては拷問であった、爆弾の直撃を受けて瀕死状態になってしまった。耐え切れずに小部屋からはじき出される。
そして、上階へ、もう鑑賞する気力も体力も残ってはいなかった。なんとなくヘラヘラしていたかもしれない。

このフロアのテーマは、「忘れえぬ英雄 昭和任侠伝」
あっ、三島由紀夫がいる、高倉健がいる。そう機械的に反応していた、ただそれだけ。
しかし、「背中で吠えてる高倉健」というタイトルには笑った。まだ人間の部分が残っていて良かった。リトマス紙だったのであろうか、あのタイトル?

そして、最後に「泉 彼岸と此岸」のテーマ
タイトル「実験報告」の油絵。もう、結果なんてどうでもいいや的な気分で、そそくさと立ち去る。

4階のアーカイブルームに避難する。赤と白を基調とした空間に萎えた生命力が甦る。

s-横尾忠則美術館最上階

窓の外に目をやれば、王子公園と六甲山系の山並みが見える。
人間も自然と共生しているからと、ちょっとホッとした気分になる。
s-王子公園1

横尾忠則現代美術館を出て、薄暗がりの帰り道を歩いていたら、食べ物の美味しそうな匂いや、パンの焼きたての香ばしい匂いを嗅いだ途端に、いままで食欲が全く消滅していたのに、急にお腹が空いてきた。人間は現金なものだ、だから人間を続けていられるのであろうと、妙に納得して、パンを買って家路に就いた。




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